秋季大会で県ベスト8、春季大会でも県ベスト8ととなり、夏のシードを獲得した浜松工業高校。その中でもチームの中心として活躍する、キャプテンの渥美、捕手の井口、遊撃手の清水は幼稚園からの幼馴染。三人にこれまでの野球人生を振り返ってもらった。

幼馴染と目指す甲子園。

渥美誠哉・井口梨玖・清水大翔/浜松工業高校野球部

三人の出身は浜松市浜名区三ヶ日町。山と湖に囲まれ、みかんで有名な素朴な田舎町。その中でも山間部に位置する平山地区で生まれ育った。幼稚園(平山幼稚園)で一緒になった彼らは、人数が少ないこともあり、すぐに意気投合。山や川で駆けずり回った。彼らが野球と出会ったのは小学2年生の春。野球が盛んな三ヶ日の中でも、特に盛んな平山地区。「当時は、男の子はみんな野球少年団に入るのが当たり前でした」と振り返る。

三ヶ日パワーズに入団した彼らだったが、1年後、チームは解散。三ヶ日フレンズに統合されることとなった。「突然、違うチームに入ることになって少し戸惑いましたが、人数が増えたことで、試合ができるようになったので、喜びの方が大きかったです」(清水)。4年生になるとスーパージュニアの大会に出場。エース(渥美)、捕手(清水)、遊撃手(井口)として主力を務めた3人の活躍もあり、支部予選、西部大会を勝ち上がり、県大会へと駒を進めた。ここでも彼らは目覚ましい活躍をみせ、チームはベスト4に進出。県大会ベスト4は三ヶ日フレンズとして史上最高成績となっている。6年時には、当時、県内ナンバーワンチームだった三ヶ日ジュニアファイターズを倒して県大会に出場。チームが弱小チームから強豪チームへと変貌する礎を築いた。小学校時代に印象深かったことを尋ねると、「試合後にコーチがアイスを買ってくれて、みんなで食べたこと」(渥美)と笑顔で話した。大会での結果やプレーについてではなく、チームメイトみんなで共有した楽しかったことについて話すところがいかにも彼ららしい。

中学に入ると、渥美と井口は三ヶ日中学校の野球部へ、清水は硬式野球チームの浜松ボーイズへと進んだ。中学では、渥美は主に内野手として、井口は捕手として出場。二人を擁する三ヶ日中学校は、中体連浜松地区大会を制すると、県大会でも快進撃を続け準決勝へ進出。ここでは東海大翔洋中学校に敗れたものの、県ベスト4という成績を残した。中学での思い出を尋ねると、「顧問の植村先生から、『コミュニケーションが全く取れない、最悪のチームだ』と怒られたことを覚えています。捕手としての技術だけではなく、人として大切なことも教えてもらい、それが今に活きていると思います」と井口は話し、中学時キャプテンだった渥美は、「とにかくたくさん怒られて、毎日泣きながら帰っていたことを覚えています」と回想した。熱く、厳しい指導についていった二人。井口は捕手として、渥美はキャプテンとして、そして内野手として、県内屈指の選手となった。一方、浜松ボーイズに進んだ清水は、「小学校の時は太り過ぎだったので、少しずつダイエットしていきました(笑)。チームは違えど、中学は一緒ですので、彼らの活躍は知っていましたし、応援もしていました。僕としては、硬式野球が楽しくてしょうがなかったので、練習日が待ち遠しかったです」

そして三人の舞台は、いよいよ高校へ。三人はどういった経緯で浜松工業高校へ至ったのだろうか。清水は、「兄が浜松工業の野球部だったので、自分も浜松工業でやりたいと思っていました」。井口は、「お声を掛けていただき、必要としていただけるならお世話になろうと思いました」。渥美は、「中学では私立に負けて終わってしまったので、高校では私立を倒したいと考えていました。地元の公立で、私立を倒せるとしたら浜松工業だろうと思いました」。彼らの家の近所には元甲子園球児が複数いるが、そのほとんどが浜松工業高校野球部OB。少なからず、そんな先輩たちの影響もあったようだ。

高校では、楽しく学校生活を送る一方、野球にはこれまで以上に打ち込んだ。「入部当初は、とにかく先輩たちのスゴさに度肝を抜かれました。バッティング、技術、体の大きさなど、とにかく桁外れでした。練習では、とにかく付いて行こうと必死にボールを追いました」(渥美)。そんな彼らも自分たちの代になると、あの時見た先輩たちのような体つきになり、技術も引けを取らないまでに成長した。幾多ものツラい練習をみんなで乗り越えたことで、県内屈指のチームワークも手に入れた。「ツラい練習ほど、みんなで声を張り上げて、励まし合いながらやってきました」(清水)。結果として、秋季大会は県ベスト8、春季大会でも県ベスト8となり、夏大でのシードを獲得した。

高校でもキャプテンとなった渥美はこう話す。「秋も、春もベスト8まで進んだとはいえ、私立に負けました。だから全く満足していません。もう公立は私立に勝てないと言う人もいます。僕たちは私立を倒します。そして甲子園に出場します」。浜松工業高校が最後に甲子園に出場したのは1997年。今から27年前になる。公立が強かった時代から、私立最盛期へと時代は大きく変わった。だからこそ、「打倒私立」にこだわる。

三人は、今日も同じバスに揺られながら、帰宅のために終点へと向かう。あるものは車窓を眺め、あるものは物思いにふけり、あるものは瞼を閉じる。彼らの想いはただひとつ。「私立を倒して甲子園出場」。小学2年生の時から一緒に歩んできた三人の野球道は、まもなく集大成を迎える。




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