部活動引退後に始めたキックボクシングで日本ランキング2位(シュートボクシング)、 S・BATTLE王者でもある松野竜伍(リングネーム・マウンテンRYUGO)。30歳を超えてなお日本のトップ選手として活躍する彼の原動力は、学生時代の部活動にあった。
社会人になっても、見られる夢はある。
キックボクサー/マウンテンRYUGO(松野竜伍)
まずは学生時代に打ち込んでいた競技について教えてください。
「小学3年時から高校まで、野球に打ち込んでいました。当時から体が大きかったこともあり、打撃では随分と期待されたのですが、なかなか満足する結果が出ず、悔しい想いをしたことの方が多いです。ただその反面、やりきった感もあり、悔いなく野球を終えられました」
キックボクシングはいつから始めましたか?
「高校最後の夏の大会が終わってすぐです。K1が好きで、よくテレビ中継を観ていたこともあり、キックボクシングにずっと興味がありました。きっかけは、単純に有名になりたかったからです(笑)」
始めた当初のキックボクシングの印象を教えてください。
「周りにはプロを目指している選手が何人もいて、レベルがとても高かったです。週5でジムに通い、何とかその人たちの練習についていった感じです。その後、アマチュアの大会に出場させてもらい、そこで1回勝てたことで自信を持てるようになりました」
順調なスタートですね。
「それが全然順調じゃないんです(笑)。デビューからの2試合は勝てたのですが、その後は8連敗。普通であればプロは諦める成績ですが、野球をやっていた経験でこれを乗り越えられました」
野球の経験が活きたとは?
「野球は全てが上手くいく競技ではありません。どちらかといえばミスありきの競技。ただその原因は自分の中にある。野球を通して、相手との差を見つめ直し、それを次に繋げる習慣がついていました。その習慣がキックボクシングでも活かされていると思います」
そしてプロへ。
「最初はライトヘビー級でした。25試合戦って15勝9敗1分。ここでも思うような結果を残せませんでしたが、野球での経験を元に、ベルトを巻くことを目標に据え、さらに階級をヘビー級に変え、一日一日、練習をやり切るようにしました。10年掛かりましたがベルトを巻くことができました」
仕事をしならが競技を続けるのは大変ではないですか?
「朝8時から夕方5時まで、製造メーカーで勤務しています。残業がある日もあります。一番大変なのはモチベーションの維持です。強制ではないので、サボろうと思えばいくらでもサボれます。その弱い気持ちに打ち勝つために、続けることをルーティーン化しています。具体的には、練習後、必ず『今日もやりきった』と思うようにしています」
高校生にひと言お願いします。
「野球では目標を達成することはできませんでしたが、大人になり、それが全てじゃないと分かりました。大人になると見える景色が変わります。社会人だからこそ見られる夢があります。だからこそ、社会人になっても、さまざまなことに興味を持ち、どんどん挑戦してほしいです」
有名にはなれましたか?
「まだまだ有名に手が掛かったくらいですかね(笑)。今後は、もっとメジャーなベルトを取りに行き、もっと有名になります」
Profile/Matsuno Ryugo
浜松市出身。小学3年時に浜北スモールジャイアンツで野球を始め、中学では浜松シニアでプレー。その後、浜名高校野球部に進み、夏大後にキックボクシングを始める。大手製造メーカーで働く傍らキックボクシングに励み、現S・BATTLE王者、シュートボクシング日本ランキングヘビー級2位。身長183cm、体重110kg。Ten Clover Gym所属。