女子野球の未来のために。 vol.2

浅野 桜子

浅野 桜子 女子プロ野球「レイア」

今春、“浜松初”の女子プロ野球選手がふたり同時に誕生した。
プロテスト受験者数40名のうち、合格者はわずか5名という狭き門をくぐり抜けた彼女たちに、これまでの歩みを振り返ってもらった。
---野球を始めようと思ったきっかけは?

「兄がソフトボールをやっていて、お父さんに誘われたので小学1年生の時にソフトボールを始めました。低学年の頃は、上島北西ソフトボールでやっていて、4年生から、浜松ドルフィンズという女子野球チームでプレーしました。ドルフィンズでは走ることが多かったのでキツかったです(笑)」

---中学はソフトボールではなく野球に?

「はい。中部中学校で野球部に入っていました。きっかけは、お父さんに「野球の方が楽しいぞ」と言われて、野球を始めてみようと思いました。楽しかったです。最上級生の時はキャプテンをやっていて、ショートを守っていました」

---なぜ京都両洋高校に?

「街中の学校で環境が整っていたので、「ここでやってみたい」と思ったのと、両洋高校の雰囲気が明るくて楽しそうだったので、ここに決めました」

---ボールが軟球から硬球に変わりましたが?

「軟式よりはバウンドが簡単だったのでやりやすかったです」

---寮生活はどうでした?

「洗濯とかを自分で全部やるのが初めてだったので、練習から帰ってきて、夜遅くまで自分で全部やるのが少し大変でした」

---野球部ではどうでした?

「1年生の時に夏のメンバーに入れてもらって、2年の時からレギュラーで試合に出させてもらいました。最後の年に、春の大会でベスト4、西日本の大会で優勝したことはいい思い出です」

---プロテストを受けようと思った理由は?

「小さい頃からの夢で、もっと静岡に女子野球が広まってほしいと思っていて、自分がプロ野球選手になれば、もっと色々な所で広がっていくかな、と思い、プロテストを受けました」

---では最後にプロになってからの目標は?

「ライバルはいっぱいいるので、一年目から活躍できるよう、自分に合ったプレースタイルにこだわって、頑張っていきたいです」
日本に女子プロ野球が誕生したのは、彼女たちが小学6年生の時。
この事柄は、思春期を迎えた彼女たちの心を大きく揺れ動かし、明確な目標となった。親元を離れてまで野球に邁進し、浜松“初”の女子プロ野球選手となったふたり。彼女たちが切り開いた道は、プロを志す女子選手たちの新たな道標となる。

女子プロ野球は現在3チーム。

ゆっくりだが確実に、女子野球熱は高まっている。

浅野 桜子

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