甲子園3度出場のエース
独占インタビュー
村木 文哉 静岡高校 野球部
---野球を始めようと思ったきっかけは?
「ふたつ上に兄がいるんですが、その兄が少年野球チーム(都田リバース)に入っていたのがきっかけで、小学校1年生から少年野球チームに入りました」
---小学校時代の思い出は?
「監督とかも厳しくて、結構キツイことが多かったんですけど、4年生の時から6年生の時まで、3年連続で県大会に出場できたのが一番の思い出です」
---中学では、始めから部活(軟式)でやるつもりだった?
「はい、そうです」
---中学での思い出は?
「少年野球の時から、自分の学年は元々11人で野球をやっていました。その11人でそのまま中学校でも同じメンバーでやれたですけど、小学校の時は、県大会で勝つということが達成できなかったんです。中学では、「まずは県大会で勝とう」という目標を持っていたら、全国大会にも出られて、そこが凄く一番の思い出になっています」
---高校を静岡高校に決めた理由は?
「元々、高校は公立でと考えていました。そこで静岡高校からお誘いをいただき、静岡高校のことを調べました。すると、凄く伝統があって、甲子園への出場は静岡県で最多だったので、その高いレベルの中でやりたいと思い、進学を決めました」
---自信はあった?
「周りに硬式のメンバーが多く、自分の代では軟式出身が自分ひとりだけだったので不安や心配な面もあったのですが、行くからには「絶対エースになってやる」という気持ちでやってました」
---高校では下宿生活になるわけですが、不安などはありましたか??
「初めは多少ホームシックというのもありました(笑)。食事の面では、体作りということもあって、自分は食べる量がキツかったです」
---どの位食べるの?
「とにかく朝からお腹一杯食べて、夜は米1キロ以上を最低ノルマとしてやってました。チームとして体重を見て基準が決まっているので、その基準を最低限として、プラスαを食べていました。その成果もあり、入学時に63キロだった体重が83キロになりました」
---高校時代の思い出は?
「3回、甲子園の舞台に立たせてもらいました。先輩たちの代で行けたのは凄い嬉しかったのですが、最後の夏、自分たちの代で行けなかったのが凄い悔しかったです。でもやはり、甲子園に出られたのが一番の思い出です」
---ターニングポイントとなった出来事は?
「自分は小学校の時から野球が大好きで、ずっと続けていたんですが、中学で硬式というか、本格的にやることは考えてなかったです。高校進学にあたって、静岡高校というレベルの高い所でやらせてもらえたというのが「野球人生を変えた」という所だと思います」
---飛躍のきっかけは?
「自分のピッチングコーチが元プロ野球選手で。静岡高校のOBなんですけど、戻ってきてくださいました。いろいろ指導いただくにあたって、苦しい練習というのも自分の中ではあったんですけど、自分もプロを目指しているので、プロのマウンドに立った「この人なら」という思いで頑張りました」
---今後の目標を教えてください。
「大学では全国大会に出場して、最終的には、ドラフトの上位でプロに行けるように頑張っていきたいです」